株式会社ラクーンホールディングス

小方の気まぐれ日記
小方の気まぐれ日記 2011年
2011年12月 人脈というのはどうも苦手
まもなく今年も終わろうとしているが、私の12月はさほど忙しくはない。仕事関係で飲む習慣はないし、商業団体にも何らかの会にも属していないからだ。そもそも、私は人脈を使った商売が苦手だ。友人の類にものを売るのはもっと苦手だ。成功したある起業家が言っていた言葉を思い出す。
「私がしたのは、仲の良い人が高いものを持ってきても買わない、知らない人でもいいものを持ってきたら買う、、ただそれだけだ」
2011年11月 ITブーム再来?
「ITブームが戻ってくるかもしれない」と部下が参加したセミナーで、大手IT企業の経営陣が言っていたそうだ。しかし、私は2000年のころのようなITブームなら戻ってきて欲しいとは思わない。あの頃ほどITを使った事業が誤解されたこともなかった。そもそもITであろうとなかろうと、事業というのはちゃんと社会に存在するニーズと付き合っていなければ存続は不可能でありその意味もない。ITでも実態のしっかりした会社はあるし、ITでなくても実態が不明確な会社はいっぱいある。
私が戻ってきて欲しいのは、新しい可能性を育てる仕組みだ。これほど倒産が多いのに新しい会社や産業が生まれて来ないのは問題である。
2011年10月 新規事業が始まる
10月末に、新規事業である「Paid」がいよいよスタートする。
このサービスは、展示会や営業活動の中で出会う信用の見えない小売店とも未回収のリスクなく後払いで取引が可能になる決済サービスだ。

元々、SDには後払いの決済機能が搭載されているが、この決済方法はSDの中でしか使えない。これに対して、メーカーでも問屋でも小売店でもPaidにさえ加盟していれば互いに与信枠の範囲内で信用取引ができるようになるのがこのサービスだ。

日本では、現金で始まった取引でもやがて信用取引へと変わっていくのがいまだ一般的で、そのためほとんどの企業は信頼関係の作りやすい“近隣”としか取引をしていない。しかしながら不景気は長引き、もっと多くの新しい相手と取引したいという企業は増えている。また、情報通信の時代なので、遠隔地の相手でも取引したいという企業も増えている。しかし、この「遠くにいる、まだ信頼関係の出来ていない新しい相手と取引をする」ための決済手段が存在していないのだ。

問屋や商社が古くから果たしてきた役割に“企業間の決済”があると認識している。弊社はすでに出展企業1000社と小売店3万店舗の決済を行っていることを背景に、このサービスを開始することとした。
2011年9月 部長の研修
年に1回、研修と交流を兼ねて部長合宿が行われる。ただ、お金だけ払って社外の座学を受けさせても(本などはよく読んでいるので、、、)満足する連中ではないし、それを素直に勉強してくるとも思えない。だから、毎年、私の手作りの研修となる。もちろん、これは大変だ。きちんと成果が無くてはお金と時間を使う意味がない。その意味でも、私のその時間を作り出す能力は彼らに劣るわけにはいかないわけで、私としてもかなり気合の入ったものとなる。私から見て事業家の才能とは、「楽しい迷惑を如何にしてより大勢に掛けられるか」なのだ。

テーマに従った会議は普通に行うが、問題はそれ以外だ。毎年遊び心を持たせてレクリエーションの中に“学び”を忍ばせる。今年のテーマは、2つある。1つは新たに資本関係を持った子会社経営陣との人事交流。日頃一緒に仕事するメンバーばかりではないのでここでしっかりと信頼関係を作っておいて欲しい。もう一つは、「未知の課題とどう付き合うか?」だ。ビジネスの世界は学校と違い、先生も参考書も存在しない。自ら考えたり調べたりして、作戦を作って本番に臨まないと「欲しい結果」は得られない。「やったことないんで」とか「やり方知りません」とか「できません」とかは通用しないのだ。

そこで私は、誰もしたことがないものをわざと選んだ。それは“釣り”だった。釣りは殆どのメンバーが未経験。船は予約したが船頭に趣旨を話し、一切のヒントを与えないように依頼した。14名のメンバーを5つのチームに分けて、1ヶ月前にルールを説明しゲームスタート。各チームはネットやら友人やら、色々と調べて釣具屋で必要なものを調達し本番に臨んだ。当日はひどいシケで半分がグロッキー、彼らに嫌いなアウトドアを1つ増やしてしまったようだ。それでも魚は結構釣れて、その日予約しておいた民宿で料理にしてもらい懇親会をおこなった。自分で釣った魚はとくにおいしいようだ。交流も、うまくいったようだ。
2011年8月 社内コンテスト
ラクーンでは社内で様々なコンテストが行われる。
例えば、四季折々の挨拶を贈るためのポストカードコンテストもその一つで、バイトも社員も従業員であれば自由に参加できる。社内の壁一面に匿名で貼りだされ、会社として利用するポストカードをみんなで投票して決めるという趣旨だ。このコンテストでは何人かのヒーローが生まれ、仕事にも自信をもち、バイトから社員に登用された人間もいる。 日頃決まった仕事をただ続けているだけでは、誰かの大切な才能を発見しきれない。また、なんでもいいから自信を手に入れてさえくれればそれは必ず仕事へと反映される。私としては、色んな切り口で色んなヒーローが生まれてくれればそれでいい。

さて、今年のコンテストだが、社内改革のための作文コンクールを実施することとなった。全員参加で、自分とその周りの業務の問題点、さらにはその改革案をだすというものだ。

100人近くいる社員から30名が1次審査を通過し、役員がこれを5名にまで絞り込み、さらに全社員の投票で1位が決まる。審査は全て匿名で行われるので、どれが誰の作品かは最後まで分からない。入社暦の浅い一人のエンジニアが、優勝した。賞金は10万円だ。また、ヒーローが1人増えた。
2011年6月 決算発表
前期の決算発表があった。

売上は5.4%増、営業利益は22.1%の増加である。ベンチャーなのに大して伸びていないという意見も頂いたが、この数年類似ビジネスが多数スタートしており、我々としてはここで差別化のために多くの経営資源を投入した年でもある。
差別化は一定の成功を収めたものと認識している。市場で評価を得ている企業が続々と参加し、弊社以外に出ないという企業もずいぶん増えた。前期、質の向上に使った経営資源の大半を今期も、再び成長戦略に投入する。作り上げた質を維持しながら再び成長を目指すというものだ。また、今期は新規事業も立ち上がる。
実は、前期から準備には入っていたのだが、今期の後半にそれはお披露目となる。
私は、これまで「オンライン激安問屋」、「スーパーデリバリー」と2つのビジネスモデルに関わってきたが、今回は、私以外の人間が中心となって開発した初めてのビジネスモデルであり、副社長の石井がこれを担当する。過去2つのビジネスモデルを超える可能性も持っていると私は認識する。弊社は常に新規のものしか手掛けない。今回も世界中に例が無く唯一無二の素晴らしいビジネスモデルと言ってもいいと思う。特にSDや子会社T&Gとのシナジーも高い。
2011年5月 人間としての幅
全国に漂う“節約ブーム”の影響か、社内では最近お小遣い制について悩むパパ達が増えている。不動産を買う人間が増えているが、そのことも影響しているようだ。
「これまで、家賃13万円の賃貸に住んでいたが、めでたくマンションを購入し月々10万円のローンを組むことになった。」ふ〜ん、そうか。それではお小遣いは3万円増えたのかい?と聞くとみんな、「とんでもない。かみさんは、ローン、ローンが口癖で究極の節約体制に入ってしまった」とかいう。

家族の理解がないといい仕事は出来ないのでここで奥様方を敵に回すわけにはいかないのだが、あまりの悲鳴の多さに私もちょっと困っている。ちょっとやそっと給料を増やしても彼らの“小遣い”が増えないと、どうにもやる気に繋がっていかないからだ。無駄遣いを減らして節約するのはいいことだと思うが、ただより豊かになろうと思うなら節約しない方がいい“もの”もあるのは確かだ。結婚してお小遣い制になり行動の殆どが妻の支配下に置かれたパパ達は、なんだか気位まで下がってしまい、アドレナリンの分泌が減ってしまっている気がする。「男は自由になる金を持たせるとろくなことをしない」って考えも背景にあるかもしれないが、今どきそんな“甲斐性のある"男もほとんど存在しない。

ある程度仕事も覚えて、年齢的にも成熟してくると何らかの役職が欲しくなってくる頃。しかし、リーダーになるためには真面目なだけでは駄目なのだ。人間としての幅も必要だ。習い事でも趣味でも遊びでもなんでもいいのだが、“自分”をちゃんと持ってない人は、やっぱり幅がない。最近の採用面接でも、“ちゃんと人間やっているかどうか?”をチェックする。学校出て、真面目に勉強して努力家なのはいいのだが、なにか足りないという人が増えている。1人の人間が成熟した大人になるためには、恋愛も遊びも失敗も、、色んな人生経験が必要なのだ。それらを“はしょって”生きている人は、人生の意味合いをちゃんと見出せるんだろうか?
2011年4月 被災地支援掲示板
地震から1ヶ月が経過した。
地震直後に開放した掲示板にはたくさんの書き込みがあった。
被災地周辺の小売店の方々は現地の状況をリアルに報告してくれて、また多くの会員は支援物資があれば避難所に届けてくれると申し出てくれた。
SDはクローズの会員制のため、情報に安心感がある。また、やりとりの相手が直接経営者だったりするので、“物"に対する知識もあり、スムーズだ。
これらの声に、出展企業各社が反応し、あっという間に数百箱の衣料品や生活必需品が被災地に向けて発送された。

私は、状況を確認する必要を感じて、急遽被災地入りすることにした。届いたものがどうなっているのかを確認しながら協力店舗を中心に挨拶して回った。ある店舗は100箱以上の物資が届いたようでお店の中が大変なことになっていた。「大丈夫ですか?」と尋ねたところ、「せっかく皆さんが善意で送ってくださった貴重な支援物資。無駄にならないよう慎重に確認しながら確実に避難所に送り届けます」と言われて感動した。

テレビでは、適当に送られた物資が自治体の倉庫に山積みになっているという声も報道されていたが、SDの掲示板では個々の避難所でどんな物が不足しているのかが具体的に紹介され、また届いたものも直接被災者に手渡されたため、無駄なく高い精度で物資が届けられたようだった。
2011年3月 東日本大震災
その日、私は大阪にいた。5分以上、大きな横揺れが不気味に続いた。
丁度15時からセミナーだったので、その直前の出来事だ。後々そんな大ごとになるとは想像もせず、会場に集まった方々に「ずいぶん、揺れましたね」なんて言いながら約60分のセミナーを終えた。本来、90分だったが、ただならない気配を感じて無意識のうちに早口になっていたのだ。

【2011年3月12日】
翌日、東京に戻り全部門長と連絡をとり、従業員達とその家族の安否確認を行った。その後、幹部は休日出社し“するべきこと”について話し合った。
しかしながら、この時点においては何が起きていて何が始まろうとしているのか見当も付かず、議論は中々まとまらなかった。その日は、翌日から当面の間、全従業員を8時に出社させ、17時には帰そうと話し合った。停電や電車の混乱で帰れなくなる人が出るからだ。

【2011年3月15日】
時間と共に被害の実態が明らかになってきた。テレビを通して、写される被災地の画像に驚愕した。それでも、どこがどういう被害を受けたのかがよく分からない。なにか、送るにしても、輸送網再開の目処は立たなかった。
東京でも混乱は続いていた。震度2から5程度の地震が連続で起きていた。また、関東にも3日以内に大地震がくるとの情報が流れ、コンビニやスーパーから保存食が消えた。この混乱に追い討ちを掛けるように停電と放射能の問題だ。経営者としては従業員の安全を確保しなくてはならない。しかし、お客様がいる以上業務は続けなくてはならない。一番混乱したのは、ツイッターなどをはじめとした情報の錯綜である。「ある企業は昼から社員を帰したらしい、、」「ある企業は在宅命令が出ているらしい、、、」 どれが本当でどれが嘘なのかがよく分からない。不安になった部下達は業務中にネットのニュースや情報収集に夢中になり、仕事に手がつかなくなった。緊急性のない仕事が多少遅れる分には仕方がないが、こんな時こそ被災地のお客様たちに出来ることがあるはずだ。
いや、しなくてはいけないことがあるはずだ。我々は普段彼らから頂いた注文で成り立っている会社なのだから。いざという時に力になれないのはあまりに情けない。
しかしながら、放射能の問題は“見えないもの”だけに恐怖となって首都圏を襲った。みんなうろたえながら、マスクをしたりフードを被ったりとても仕事どころではなくなっていた。 それにほとんどの電車の間引運転と自宅の計画停電。東京も被災地になりつつあった。

【2011年17日】
副社長の石井さんに頼んで、原発危険度調査を依頼した。みんなで、中途半端な情報を集めても疑心暗鬼になるだけだ。英語が堪能なスタッフを配備し、特に海外情報に目を光らせた。海外からの情報がもっとも我々に不安を与えていたからだ。定期的に情報をまとめて報告し、業務中にツイッターやネットの閲覧をやめるように指示をした。仕事中のツイッターなど有り得ないと思うかも知れないが、自分や家族の命に関係がある問題となっていたので、それどこではなかったのだ。チームを作って情報をまとめたところ、今後どうなるか予断は許さないまでも、その時点においては危険ではないことが明確になっていった。ようやくみんな仕事に集中できるようになった。

【2011年3月18日】
会社として、被災地に対して行うことが決まった。
もっとも多かったアイディアは義援金だったが、それは我々でなくても多くの団体がやっていることだ。震災のニュースを通して現地の状況をみていると我々こそがするべきことが見えてきた。
食料と水などは届き始めている。
避難所が多岐に渡っていて、支援にムラが出ている。
欲しいものが、医薬品や水から、歯ブラシ、髭剃り、衣料品などに変わっていっている。
まもなく地域再生が始まるのに、テレビに映るお店はどこも商品が空っぽだ。
地域地域の商店主達は、炊き出しをしたり、自らの在庫を無料で提供したりしている。
地域の商店主達こそが地域再生の担い手なのだ。
そんな被災地の東北3県(岩手、宮城、福島)にはSDの会員小売店が426店舗ある。

【2011年3月23日】
弊社が発表した被災地政策は以下の通りだ。

まもなく、30万人をも超える避難者の生活の再生が始まります。
我々は会員小売店を通して地域の支援を行いたいと思います。
1)被災地応援掲示板の作成
弊社の会員小売店は、中小がメインでどこも地域密着型です。また行政とは異なり、細かな部分で、必要なものを被災者に供給することが可能です。支援物資をメインに現地で必要とされているものを書き込んでもらい、無償・有償含めてメーカー各社から在庫の提供を受けられるようにします。
2)送料の補助
東北3県(岩手、宮城、福島)の各会員小売店様の注文を6月末までは送料無料とします。
3)東北3県支援コーナーの作成
特集という形を取りますが、特別価格を提供できる企業を募り、東北3県の小売店様を優遇するコーナーを開設します。
掲示板は開設初日より、大きな反応があった。支援コーナーも70 社以上の参加協力を得られた。
2011年3月 急遽新卒採用
そもそもラクーンでは新卒採用というものが存在しなかった。新卒は10名以上いるが、そのほとんどが学生時代からバイトとして働いていた人間だ。みな転職者と同じようにエントリーフォームから応募して個別に1次2次と面接に進み合格したら採用になる。
一般的な新卒採用には、少々疑問を感じていた。リクルートスーツを着て行列を作る学生たちと一気に大量面接をしても、ミスマッチが生まれるのではと心配していたのだ。 しかしながら、毎日のようにニュースで学生の内定率がとても低いと報道しているわけで、我々としても出来ることはしようと、我々なりの工夫をして2名を採用した。4月1日が楽しみである。

とても不思議なことが1つある。新卒はまだなにも仕事は出来ないはずなのに、そんな新卒が配属された部署の売上はなぜか増加する。
2011年2月 「どっきり」にはめられました
「どっきり」にはめられました テレビ東京の特別番組で、「どっきり」の企画にはめられた。 なんと数十人の社員が1ヶ月以上も私に極秘で仕込んでいたネタらしく、私はまったくそれを知らなかった。 居酒屋にカメラを仕掛けて、宴会の終わり際、私が1本絞めをするとそれに連動して全員が、手拍子だの踊りだの始めて、しまいには店中が踊りだすという企画だ。 テレビ局はこの企画のために、わざわざニューヨークから振付師まで呼んで、連日練習をさせていたそうだ。 なにも知らない私は、口をぽかんと開け、その姿がそのまま全国放送された。 どっきりの後に、「これ、流行ってんの?」と言ったら、スタジオの所さんとテリー伊藤さんから「そんな感想無いだろう!」と突っ込まれた。

その後、居酒屋に行くたびにカメラが無いか不安でならない。
本番終了後、エキストラの学生達とラクーンのメンバーで記念撮影。
2011年1月 ZEROICHI SHOP オープン
昨年から始めたZEROICHI PROJECTの中でZEROICHI SHOPというものがオープンした。
ZEROICHI PROJECTというのは創業間もないメーカーや個人としてものづくりをしている人たちを応援していくプロジェクトだ。弊社の会員である小売店は小さなお店がほとんどなので、大手との差別化のためにはこだわりのある商品などが必要であり、そういった意味でも重要な企画となっている。さて、このZEROICHI PROJECTに今回さらに、プロダクトデザイナー達が加わることとなった。大量生産ではなく、納得いくもの好きなものを少量でコツコツと作っている人たちだ。加湿器を円筒形にしたら何倍も売れたり、液晶テレビもフチを薄くしてスタイリッシュにした韓国製が人気だったりとデザインが活躍する潜在的余地は多分に残っている。この分野で活躍していくだろう人たちがプロダクトデザイナー達だ。

ただ、彼らは非常に少人数で活動しているケースが多く、商品は持っていても受注の対応や、出荷がこなせない。したがって、うちで預かり、これらを丸ごと請け負うのがZEROICHI SHOPだ。
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